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ローテンブルク
index (写真はWikipedia ローテンブルク・オプ・デア・タウバー)
Rothenburg ob der Tauber 古城街道公式サイト
2017年 (平成29年) 9月16日
【旧局舎の★HP Pavilion 500で作成】
ローテンブルクの起源は、現在は一市区となっているデトヴァングにあった。
この小教区は、970年頃にライニガーという名の東フランケン地方の貴族によって創設された。
この貴族はついでコムブルク(現在はシュヴェービッシュ・ハル市の一部)を創設した。
この貴族が、タウバー川を望む丘の上に (oberhalb der Tauber) 城を建てたことが、現在の地名である "ob der Tauber " の由来である。
このコムブルク=ローテンブルク伯が断絶する1108年までには、皇帝の城が築かれていた。
この伯家の最後の当主となったハインリヒ・フォン・ローテンブルクは、城をコムブルク修道院に遺贈した。
しかし、皇帝ハインリヒ5世は、この遺贈を認めず、甥のコンラート・フォン・ホーエンシュタウフェンにレーエンとしてこの所領を与えた。
コンラートは1137年にローマ王(在位1138年-1152年)に即位してコンラート3世となると、1142年にローテンブルクに帝国の城を築き、ここに宮廷を置いた。
しかしローテンブルクの宮殿において政務を執った国王はコンラート3世のみである。
1900年のプレーンライン
マルクト広場に面して建つ市庁舎
17世紀のローテンブルク
Retina5Kのマップで作成
シュピタール堡塁
ローテンブルグ MAP